松野監督から皆さまへ 〜第9回講座に向けて

お疲れ様です。今回はシナリオの第一稿を送らせて頂きます。
(★事務局注:〈シナリオ第一稿〉は後ほど別便にてお送りいたします。)

本来、出演者はシナリオの決定稿(撮影に臨む際のシナリオ)のみを読むのが普通で、まだ完成していないシナリオを読んで頂くのは心苦しいのですが、ワークショップの残り回数や、今までの流れを考えて、この段階で読んで頂き、ワークに取り入れていく事が良いのではないかと思い、送らせて頂きました。
ある意味ではまだ、種のような内容ではありますが、ここから大きく軸が変わるというような事はありません。
今回はこのシナリオを読んで頂き、それぞれの役について考えて頂ければと思います。
ワークで実践するに当たって、配役は変更しながら進めていきたいと考えていますが、とりあえず(とっかかりとして)シナリオに向かうのに、皆さんが全ての配役を想定する事は難しいと思い、現時点での配役をなるべく無作為に決めてみました。来週はこの配役でシナリオについて考えて頂ければと思います。
また、現時点のシナリオでの年齢設定等で、自分の配役を想定される方もいらっしゃると思いますが、これに関しても、改稿の際に大幅な変更が行われる可能性がありますので、ご了承下さい。

【皆さんの感想】
今回もたくさんのご意見ありがとうございます。一つだけ書いておかないといけないと思った事があり、先に書きます。
皆さんの感想に関して、なるべくこちらの価値観で取捨選択せず、ありのままの形で、皆さんに読んで頂きたいと思っているのですが、記載していないものも中にはあります。プライベートだと判断されるものはもちろんですが、その他に、ある種の懐疑的な意見に関して、記載していないものがあります。例えば、ワークショップ自体の内容に関する疑問や、個別のお芝居に対する判断、などが、それに含まれます。
これらの感想に関して、逡巡しながら、幾つかは感想から除外しています。誤解して頂きたくないのは、その内容を重く受け止めず、スルーしている訳ではないという事です。また、そういう感想を否定的に捉えているわけではありません。
それらの疑問に対する回答は、なるべく次の課題に取り込むべく考えておりますし、皆さんの感想の中にそのヒントがありそうな場合はなるべくそれを取り上げるように心がけています。それでも疑問に思われる事、不満に思われる事がある場合は、出来れば、一対一でお話出来ればと考えています。
ある価値観から、物事を面白くないと判断したり、良い悪いで断定する事は簡単です。創作する中で、そういう行為が必要な場合も当然あります。
しかし、それはある種の信頼関係の中で、個別に行われる必要のある事が多いのではないかと考えます。その内容が具体的で、皆さんのワークを活性化させると思えるようなものは除外していないつもりです。ですので、僕に対しての意見や感想は、今までと変わらず率直に忌憚のない意見を書いて下さい。

今回、感想に対する感想のような書き方もあって、それもありだと思いました。(「自分はこう思う」というような事)

以下感想

○受講生が「性質は芝居出来ない」というような事を言っていて、そういった価値基準の変え方に何か思いがけない自分というものがでるのかもしれないと思った

○自分という人間は色々な顔を持っていて、どういう考え方であっても、自分の延長線上にあるものだと考えていたが、芝居の中で頭が先行して違和感しか感じない時に、自分とかけ離れてしまっていると感じた。ただ、この違和感から逃げる事は自分という人間を狭める事になる気がする

○「いつもと変わらない」とか「いつもと違う」とかは結局見てる側のその人に対するイメージで、人間ってもっと幅広いものだと思う

○「こういうことを、やろうとしている」という事が、見てる側に伝わるという事は、やっている側の不自由さが伝わっているからだと思う

○「与えられた役柄」というのは「制約」であると思うので、「制約の中の自由」というのは目指すべきものの一つだと感じた

○「制約の中の自由」は今までやってきた「相手との対話で感じ合う」ものであったり、与えられた状況の中で出す「素直さ」であったり、そういう
ものの中で引き出されるものなのだと思う

○「制約の中の自由」をどう引き出すのかは、考えれば考える程分からなくなるので、自分を開いた状態でいろいろやっていく中でつかんでいきたい

○(私的な感想を含みますが、その部分を除外して記載)ワークショップ全体を通して、「自由」の意味が分からなくて、どういう事なのか考えていたが、ある芝居で、背中合わせでみんなで立った時のような感覚で、自分自身は何もしていなくて(出来なくて)、ただ相手が自分の存在を作っていってくれて、導いてくれて、自分は少しも自分をコントロールして「演じる」という事が出来ていなかった時、何も出来なかったのに楽しめ、相手を好きになった。相手が作ってくれた何者かは、見ていた人には「いつものあなた」と言われたように、自分そのものだったのかもしれないが、何故か自分ではそんな感じがせず、普段は自分の事が嫌いだが、相手が作ってくれた何者かは、そんなに嫌いじゃないなと思った。この何者かが伝わるように出来ればと思った。

○はじめは恐る恐る設定した特徴を意識しながらやったが、あるタイミングで心が動いたので、そのまま乗って自由にやってみた

○設定した人物が明るめの人物だったので、自由にやっても違和感はなかったが、大人しい感じの人だったら、同様の状態でどんな感情や、コミュニケーションの取り方になるんだろうと思った。

○芝居中に本当に体験が出来た時は、とても嬉しく、それを目指してやっている。途中で嘘をつくと成功しない。だからといって出来た時が人に伝わるかというと、そうでないという意見もあり、自分の目指すものが自己満足なのかと思う時もある

○自然だという感想を頂いたが、自分の事で精一杯で、ペアの相手とのコミュニケーションが上手く出来なかった

○ワークでやった事を上手く消化出来ていない。やらされている感があって、もっとのめり込んで、積極的に参加しなければいけないと思う

○抑揚を出さずに話すと、暗い、声が小さくなると、なりがちだが、それは違う気がする。前回の感想の「現実の世界では『抑える』事をしていると思う、それでも思いがけず言ってしまった、出てしまった言葉や行動がリアル」というのに共感した

○ワークショップ中に、講師が、あまりそのワークの目的を言われる事がないので、何故それをするのか分からず、面白くない時があったが、目的を言われると、それしか成果が得られず、もっと他に吸収出来る事があるのに、それを阻害されるかもしれないので、自力で理由を考え、自分の得られていない、気付いていないものを考えていかないと、と思った

○他者を演じる上で、他者にも少しは自分と共通するところがあると思う。そういうところから役と自分とを近づけて演じれば、リアルなものになるのではないかと思う。
役を一度分解して、自分の近いところを見つけて、また組み直す。

○相手の言葉を受けて、リアルな反応ではなく、「こう来たら、自分ならこう返すだろうな」と頭で考えてから出たもの、それが見えた時、「あ、芝居している」と感じた

○プラン通りやり通そうとすると、思っていたものと違うリアクションが返って来た時、ちぐはぐになってしまう。手紙のワークは一人でやっていたし、内容も決まっていたが、「一度覚えた事を忘れる」というのは凄く重要な気がした。「これから起こる事は、考えた通りに進まない、思った通りに進められない」

○自分では制御出来ない何かが出る瞬間というのは、自分が想像だにしなかった出来事が起こった時にしか出ない気がする。芝居で設定や台詞を与えられた中では難しい

○目標としていた事について考えすぎて、相手の一つ一つのアクションに対して、頭で考えてから反応してしまっていた気がする

○このワークで、普段の生活の自分を考えると、自分では、「こんな人間だ」と思っていながら実はそうではなくて、スルーしてしまっている部分がいくつもある気がした(こんな人間になりたいと思う理想の自分も、本来の自分を理解するのに邪魔だった)

○芝居をする時には、自分の中身どうこうではなく、やっぱり「相手の事を考える」という事が一番大切なのかと思った

○演じたのは私の中にいる私でしたが、それはそれ以下でも、以上でもなく、全てが想定内の自分であったように感じ、それが面白くなかったのではないかと思った

○相手の言葉や行動を受ける事が下手で、自分を相手に押し付けていただけのように感じた

○大袈裟に見えるという事は、やり過ぎだという事なのかもしれないが、他人から見た自分と、自分が見た自分は違うので、分かり難い

○ワークショップ全体で感じている事で、自分が自分でいる事の難しさがある。気を抜くと自分が自分でない誰かになろうとしているように感じる。でも、それもいつもの自分なのかもしれない、、。

○「沈黙が空間を生む」は名言だと思った。「沈黙も台詞」という考え方はあるが、3次元的に言い表していて、沈黙をより肌で実感出来た

○「価値観をズラす」という事、自分を全く別のキャラクターに置き換えてしまうのではなく、「自分の中に居るけど、自分として登場しない自分」に注目する。
その「自分じゃない自分」が自らの欠点である場合と、本来はこうありたいのに、なかなか実現出来ない憧れである場合もあり得る

○自分ではない自分をあえて出してみるという作業は、難しく、多少ストレスに感じたが、これが出来たら、演技の幅が広がるのではと思った。自分らしさを出すという作業はある意味、慣れれば楽な事で、演技をしようとすると、どちらかといえば、「自分らしさ」の方に固執しがちだが、自分の中の別の側面を見せる事が出来れば、見ている人達にも、「私」という人物の奥行きを感じて貰えるのではないかと思う

○上手い、下手、自然に見える、ぎこちない、は見ている人の主観の問題で、絶対ではない。(そもそも「自然に見える」と言っている時点で不自然なのだから)

○自分の中で「こうあるべき」と決めつけず、相手の出方によって、予期せぬ方向に行ったりするのも、それもまた面白い。相手との化学反応、ハプニングを楽しめる心のゆとりを持ちたい

○「制約」を「人の目」や「世間体」といったものとして解釈し、それが外れていくと、自分の想定した人物ならどうなるのか、という事を想像してやってみた

○自分が何者であるか(自分の価値観)を見つめることと、役の人物の価値観を想像する事が重要だと思った

○自分と役との距離を一気に埋めようとするのは難しいが、想像力を使って、自分に近いところから、少しずつはしごを作っていけるのかもしれないと思った

○「制約」他者に対する意識が外れると、そこに自分しかいない状態(他者がいても無視するような状態)になるのかと思った

○「自由であること」と、楽である事は違う事だと思った。設定に依存したり、テンプレートをなぞったり、自分をある一定の型にはめ込む事は、何も考えなくてよく、気楽だが、型にはめ、型通りに動かすのは、自分を「物」化しているように思え、自由ではない。役になる事は「物」化する事でなく、「人」になる事なので、自分、他者、問わず、人に対して思いを馳せる事が大切だと思う。際限がなく、答えもなく、難しいが、根気強くやりたい。それは普段の生活でも当然活きてくる

○エチュードって難しいと思った。自分がどういう一面を見せるか、設定を一つにして、はっきりしないと駄目だと思ったし、相手の出方もよく考えないといけないと思った。「何かをしないと」というのを一番最初に考えてしまう

○やりとりも想定内で、思うように出来たと思ったのに、講師から「何か不自由に感じる」と言われたが、良く分からなかった

○ペアでのシナリオのないやりとりなので、「こう言うと、相手からどう返ってくるか?」等、想定する事が大事だと思った

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以上。