中野量太監督ワークショップ 見学レポート

こちらは2017年2月25日(土)に行われた中野量太監督ワークショップのレポートです。
シナリオライターを志す元カレッジ生の五藤さんが書いてくださいました。
 
<「見せる」のではなく「見える」演技>

五藤 さや香(脚本基礎クラス/脚本中級クラス卒)
 
 中野監督とは湯布院映画祭でお会いしました。2013年に「琥珀色のキラキラ」「チチを撮りに」、2014年に「お兄チャンは戦場に行った」「沈まない三つの家」と二年連続で来られて、作品もさることながら、誰に対しても気さくで丁寧な人柄の監督の周りには連日多くの人だかりが出来ていたのを覚えています。
 その中野監督が京都シネマカレッジで俳優ワークショップ(*以下WS)を行うと知り、居ても立っても居られなくなった私はさっそく事務局に連絡を取り、何とか見学させていただけることになりました。
 
 WSが始まると中野監督はまず「監督にはそれぞれに正解の演技」があり、「今日は僕にとっての正解の演技、僕が求める演技」を目標に進めていきたいと言われました。いい芝居とは、観客をちゃんと映画の中に引き込んであげる芝居であり、そのためには「見せる」のではなく「見える」芝居でなければならない。
「見せる」と「見える」……似ているようで全く違います。「見せる」芝居はお葬式の場面で大泣きするといった、説明している芝居。こうした芝居は分かりやすいけれど、心には残りません。
「見える」芝居は例えば泣きたいけど堪える、だけれども悲しんでいるんだろうなという心の機微が観客に「見える」。観客はその「見え」た瞬間から映画に引き込まれるのです。
 中野監督は脚本を書くときもこの事を意識していると言われます。役者と監督と脚本、作業は違っても目的地は同じです。「見える」芝居……思わず私も自分の肝に銘じます。
 

 
 WSで演じる脚本は二組の親がいない兄弟の話です。そこで監督はそれぞれの兄弟の関係性を深めるために三十分散歩へ行くように伝えます。しかも手をつないで!?男同士の兄弟も、です。その後、兄弟の自己紹介をするのですが、気になったのは設定を語る組が多かったことでしょうか。設定も大切ですが、むしろ兄弟のエピソード、趣味、生活など、それがピンポイントであっても具体的であればあるほど、その人間が見えてくるのではないかと思いました。「妹がキャベツを横に切る」という話をされた方がいましたが、それだけでどんな妹かイメージがおのずと膨らみます。
 ただこれは脚本を書く上でもやらかす間違いだと思いました。よく登場人物の履歴書を原稿用紙二枚は書けなんて言うんですが、設定だけガチガチに決めても、仏作って魂入れずになってしまいます。我が身を振り返り、身につまされる思いです。
 

 
 さて自己紹介が終わると実際のお芝居に入ります。テストを何度か繰り返し、最後に本番。その後一番よかった組と兄弟を投票で選びます。年齢も演技歴もバラバラな初対面の四人のグループ。状況をもっと考えて、段取りだけで演じない、台詞には縛られずにポロッと出た台詞ほどいいものはない……中野監督が気になった点を指摘します。皆がそれぞれに模索しながらどんどん演技が変わっていくので、見ている方も目が離せません。
 まだ演技が拙いメンバーがいるグループもあれば、比較的メンバー全員が安定した演技をするグループなどそれぞれです。しかし見ていて感じたのは演技力と「見える」芝居は決してイコールではないということです。大切なのは関係性の中で出てくる感情が見えるかどうか。WSが進むにつれ、メキメキと芝居が良くなっていったグループは言葉を越えた、感情レベルで四人の関係性を上手く築けたのだろうと思います。
 

 
 見ているだけでも充実のWS、受講生の皆さんはたくさんのものを得られたことと思います。しかし本来二日間のところを一日にまとめたため、「もう一日あったら、もっと変わっていた」と中野監督、悔しいような残念なような感じでした。
 中野監督からしてみればより明確に、関係性を築いた先にある芝居を受講生に体感してもらいたかったのだと思います。そしてその芝居を一番観たかったのは、他でもない監督だったのだろうと感じました。
 
 
〈了〉