脚本中級クラス14-1 受講生レポート
基礎クラスを経て挑む、脚本中級クラス。スタート時に各自が60分のオリジナル脚本を持参し、それをいかによくしていくかを、講師の楠本先生の指導のもとに実践するクラスです。その第1期受講生によるレポート。学びはまだまだ道なかば、進歩があってこその苦悩や葛藤。そう、シナリオライティングそのものもまた、ドラマなのです。やがて訪れるクライマックスに向けて、邁進しましょう!
「血となり肉となり、骨となり、最終的には肝が残った」
12月末、シネマカレッジからメールがきた。
「中級クラス、いかがですか?」基礎クラスを受講し、30分ものの脚本を書ききった人だけが受講できるクラスをやる、という話は、他のクラスを受講した時に事務局の田中さんから聞いていた。
その話を聞いたときは「もちろん受講しますよ」と安請け合いしたが、いざ受講するか否かをこの場で決めろと言われると、二の足を踏んだ。何しろ、基礎クラスを受講してからプロットは何本か書いたが、脚本そのものは全くと言っていいほど書いていないからだ。
さらに事前に「60分ものの脚本を出せ」との事。
無理だッ!
そう思いながらも、パソコンの「脚本プロット案フォルダ」をダブルクリック。あー、この話はいい雰囲気で好みの話になりそうなんだよなぁ、と考えを巡らせること、早数日。聖夜の鐘に、除夜の鐘、いつになれば脚本は書き終わるのかね、と自問自答しながら必死に捏ち上げた60分を期限ギリギリに提出。完成形を見据えていないので、感性系の作品になっていることは否めない、そりゃあなた、思いついたものを繋げただけなのだから。でも、それはそれ、雰囲気はあるのだから、それなりに評価されるんじゃないんですか?
と、1月末に第一回目の講義が開講されるまでは、そう思っていた。
「この人たちが何を考えているのかわからない」「誰が主人公の話?」「気持ちが悪い」「テーマがぶれてる」。出るわ、出るわ問題点が。(「気持ちが悪い」は褒め言葉)
シーンの意味を先生に問われ、口ごもる私。これ、「何となく」っていうのはナシですか?
キャラクターの気持ちがわからない。主人公を行動させて。このキャラクターはこの年齢でそんな大人びたこと言わないよ。はい、おっしゃる通りで。はい、おっしゃる通りで。はい、おっしゃる通りで。講義のテーマに則って、楠本ひろみ先生にまな板の上で、バッサバッサとさばかれる我が脚本。それが血となり肉となり、骨となり。最終的には、何をやりたいのか、何を伝えたいのか、という肝だけが残った。そうか、俺はこれを書きたかったのか、と改めて気づかされる。
骨と肉と血をまた捏ち上げ、こうじゃないなとまた戻る。
結局、行ったり来たりの繰り返し、最終提出には間に合わず、未だに悪戦苦闘を続けている訳です。
今、骨はこうしましょう、と決めたところ。ちょっと今、僕、肉付け作業で忙しいんで、レポートのほうは、もう切り上げて脚本のほうに戻ってもいいっすか?浅山 幹也
「改稿迷子」
「迷ったときはアウトライン、さらにはマインドマップに戻ること」
講師の楠本先生がいつも仰る言葉ですが、本当にそうなんだなぁと実感した中級クラスでした。
事前に提出した1時間ものの脚本を改稿することを目標とする中級クラス。
一度書いたものに単に要素を加えたり削ったりするのではなく、余計なものを全て削ぎ落とした上でそこから再度構築していくという改稿作業は、直そうとすればするほどに正解が分からなくなることもありました。
主人公はどうしてこの行動をとっているのか、そのきっかけとなる出来事はきちんと描けているのか、そもそも本当にこんなセリフを言うキャラクターなのか…など、まさに改稿迷子です。けれどそれらひとつひとつの疑問点に対して、まずはスタート地点のマインドマップに立ち戻り、その上でアウトラインに落とし込むという作業をひたすら繰り返すことで、違和感を取り除くことができ、ようやく少しずつ改稿を進めることができたように思います。もちろん講師や他の受講生の皆さんのご指摘やアドバイスは存分に参考にさせていただきながら、ですが…。「やりたいこと」と「伝えたいこと」。
それらをどう“物語”としてみせるのか、それが今後の課題だと感じています。
せっかく書き始めた物語、自分で納得のいくまでもう少し改稿を続けたいと思います。
お世話になった皆様、本当にありがとうございました。田中 麗
「原作をシナリオに」
「小説の方が良かったね」
「小説と映画(テレビのドラマ)は別のものだから」
原作があるドラマを観た後は、しばしば、こういう感想が語られる。
「ドラマはドラマで面白かったね」で済めば、ドラマを観た甲斐もあるというものだが、感動した小説が見る影もなく変貌してしまい、タイトルと登場人物、そして主人公の恋人が死ぬというエンディングだけが同じ、原作者の言いたい事なんておかまいなし…。こんな、ドラマにがっかりなんていうのは、もうごめんだ。
自分が初めて書いた短かい作品をシナリオに書き換えてみよう。安易な思いつきで始めた作業は、予想以上に大変だった。
「会話に頼らない」ということを意識して書いた小説を、セリフとト書きで構成されるシナリオに書き換えるというのは、真逆の作業である。ト書きに登場人物の感情を書き込んでしまうなんていう、誰もが陥りやすい罠はまだ可愛い失敗だった。主人公が語り手の一人称小説だったから、そのままシナリオに置き換えたら独白のオンパレードになってしまった。物語のストーリーも起伏の少ないものだし、主人公は何者?なんて読者に思わせたいと思って書いたものだから、「はあ、それで」なんていうようなシナリオになってしまった。
楠本先生の指導や講座の仲間の助言を取り入れて、ドラマとしてより良い作品に書き換えようとするならば、相当に物語の構成を変更しなくてはならない事がはっきりしてしまった。既に、原作には登場していない人物達が何人も登場したあげくに、しっかりとセリフを喋りまくっているにも関わらずである。
以前、学校の課題で昔話を小説仕立てに書いて、惨たんたる結果になった事を思い出してしまった。元々の話があっても、シナリオに書き換えてドラマにしようとすることは、かなりの力技であることを思い知らされたのであった。
半澤 恵子
「技術あっての精神論」
中級クラスを受けるにあたり、まず60分ものの脚本を自前に書かなければならなかったので、基礎クラスで楠本先生に教わったことを元に、自分なりに書いてみたのですが、これが見事玉砕。
玉砕の理由として、まず、「テーマ(「伝えたいこと」)は何か」。これは、基礎クラスでは教わらなかった、「精神論」です。
基礎クラスより更にレベルアップした技術、すなわち「キャラクターの作り方」、「ストーリー作り」、「セリフの適切さ」、「シーンの意味」等々の講義を受ける毎に、自分なりにハコ書きや設定からやり直していたのですが、最後の「テーマ」で、小手先の小器用な技術では、「作品の熱」は伝わらないことを痛感しました。
これは、コンクールに応募するにしろ、プロの現場で脚本を映像化する際、監督・プロデューサー・スタッフを動かすために、とても大事なことです。多分、実際のプロの現場を想定して、かつある程度の技術を持った上でしか、「精神論」を私は得心出来なかったと思います。
それを基に、改稿を本格的に始めたわけですが、ほとんど迷走状態でした。講義を基に、キャラクターはどんなセリフを言うか・行動するか・反応するか、ストーリー運びは「三幕構成」になっているか、無駄なシーンは無いか、等々。講義で習ったことを基に考えてハコ書きしていたら、ハッキリ言って「60分」では描ききれなくなり、無理にまとめたら、案の定、最後の講評で玉砕……ということに。
楠本先生がチェックされた自分の脚本を見て「もしや私より先生の方が読んでいるのでは……」と思うほどの赤ペンの書き込み。私は叩かれれば叩かれるほど燃えるタイプなので、「このチェックを超えてやる!」と思いました。(さすがに講義中は凹みましたが)
「改稿」をするにあたり、他の受講生さんと事務局での講評回がありました。自分とは違う目線で、「私ならこうする」、「この話のここはどうなの」といった突っ込みや提案をもらいました。それでもってまた迷走したのですが、そこは美味しいところだけ頂いて、有意義な時間だったと思います。
また、楠本先生を交えて毎回ランチがあり、そこでもらったフランクなTVドラマ業界の会話も楽しいひと時でした。
まだまだ消化不良な自分の作品ですが、せっかく生まれたものですから、もう一度根性を叩き直して「改稿」したいと思います。
北村 紗代子
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